四万十市の観光スポット一覧

145件のスポット リセット
佐田沈下橋の写真 四万十市

佐田沈下橋

四万十川で最も有名な沈下橋。増水時に水中に沈む欄干のない橋は四万十の象徴です。

観光スポット
四万十川流域
四万十川キャンプ場の写真 四万十市

四万十川キャンプ場

四万十川河川敷に広がる無料キャンプ場。広い芝サイトが整備され、四万十川のすぐそばでのんびりキャンプが楽しめます。市街地から車で数分の好立地で、周辺にスーパーや温泉もあり便利。届出制(四万十市公園管理公社)。

キャンプ
四万十市
トンボ自然公園の写真 四万十市

トンボ自然公園

世界初の本格的トンボ保護区として1985年に整備。約76haの敷地に60種以上のトンボが生息し、花菖蒲や睡蓮の名所としても知られる。四万十川学遊館「あきついお」を併設。

観光スポット
四万十市
四万十川の写真 四万十市

四万十川

日本最後の清流と呼ばれる全長196kmの大河。沈下橋巡り・カヌー・川遊びなど多彩なアクティビティが楽しめる。

川
四万十市
天神橋商店街の写真 四万十市

天神橋商店街

四万十市(旧中村市)の中心部に位置し、一條神社から西へ延びる市内唯一のアーケード街です。昭和41年(1966年)にアーケードが整備され、古くからの老舗と新しい感性のショップが混在する、どこか懐かしくも活気のあるエリア。 新旧の混在: 創業50年を超える呉服店や専門店から、最新のカフェ、チャレンジショップまで幅広く軒を連ねています。 Shimanto+Terrace はれのば: 2020年にオープンした街の交流拠点です。カフェや飲食店が入居しており、誰でも利用できるテラス席や24時間使用可能なトイレが完備されています。 一條神社への参道: 商店街の東端は一條神社に隣接しており、11月の「一條大祭(土佐の小京都中村のお祭り)」の際にはメイン通りとして非常に賑わいます。

交流施設
四万十市
子育てひろば「とことこ」の写真 四万十市

子育てひろば「とことこ」

四万十市のショッピングセンター「アピアさつき」1階にある、無料で利用できる屋内型の子育てひろば。畳敷きの広い遊び場で、おもちゃやままごと、体を動かせる遊具を楽しめます。飲食OK、授乳室・おむつ替えスペースあり。

交流施設
中村駅前エリア
いちじょこさん市場の写真 四万十市

いちじょこさん市場

一條神社のある一条通り商店街は、神社の門前町として発展してきました。いつしか11月に行われる一條大祭を「いちじょこさん」と呼ぶようになり、今では一条通り商店街の市場もその名前を使っています。中世にやってきたお公家さんは、今も街の中で大切にされているのです。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

歴史・まち歩き
四万十市
お化粧の井戸の写真 四万十市

お化粧の井戸

一條氏が下向した際に一緒に従ってやってきた女官たちが顔を洗ったと伝わる井戸の枠。街中では他に見られない大きな石をくり抜いて作られています。一條神社前階段の中段から社務所側奥にみえる下がり藤ののれんが入り口の目印です。お参りすると美人になると伝わっています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

歴史・まち歩き
四万十市
ゴリ漁の漁場の写真 四万十市

ゴリ漁の漁場

3月に四万十川橋(赤鉄橋)から上流側を望むと岸に軽トラックや、川を塞いた小さなスノコを見つけることができます。岸辺に沿って遡上するゴリをスノコを伝わせてカゴに導く伝統的な漁法で、ゴリのノボリオトシウエ漁と呼ばれています。ゴリは中村の町に春を告げる食材です。小さなハゼ化の魚をさす言葉ですが、食卓に上がるのは主にヌマチチブと呼ばれる種類で、唐揚げや佃煮、卵とじが定番です。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

歴史・まち歩き
四万十市
せんば舟の発着所の写真 四万十市

せんば舟の発着所

せんば舟はかつて炭や薪など流域の物資を運んだ川舟で、帆を張るのが特徴です。今は観光遊覧船として活躍しています。このせんば舟の発着所の地名を平元(へいもと)と言います。これは増水時に川の水が集落側に入ってこないように塀を作っていた時代があり、その始まりという意味で”塀の元”と呼んでいたのが地名の由来なんだそうです。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

歴史・まち歩き
四万十市
たて町の写真 四万十市

たて町

中村平野の微高地に並ぶ京町や本町の通りによって構成される街区です。南北方向に伸びる道を軸として発展します。古地図でもこの道が確認できるので、古くからの幹線として利用されていた通りに沿って形作られた町であることが分かります。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
バス停跡のバラスブロックの写真 四万十市

バス停跡のバラスブロック

この場所は昔西南交通のバス停があったところ。ここの奥の壁には表面に小さな小石がたくさん現れたブロック塀がありませんます。このブロックはかつてコンクリートが高価だった頃、四万十川で取れる川砂利をコンクリートに混ぜて作ったもの。河口の町下田で作られていたので、下田の町並みにはたくさん使われています。中村でもじっくり探せば何箇所かでこのブロックに出会えますよ。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
ぶしゅかん畑の写真 四万十市

ぶしゅかん畑

禁断の果実「四万十ぶしゅかん」。ユズやカボスのように料理に使う「酢ミカン」です。古くから四万十地域だけで栽培され、8月のお盆を過ぎた頃から、10月初旬までの間、鮮やかな緑の実をつけます。搾った瞬間に広がるさわやかな酸味とほんのりとした苦み。様々な初夏の食材の美しさを引き立てます。市内の居酒屋では塩タタキ、ご当地酎ハイ「ぶ酎ハイ」などが楽しめます。深い緑の木にみどりの果実、見つかるかな? 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
よこ町の写真 四万十市

よこ町

町を東西方向に走る道路を軸に形成された町並みで、たて町に対してよこ町と呼ばれます。江戸時代以降、現在の博物館のある丘陵に山内家が入城すると、お城に向かって伸びる道の利用が増え、よこ町が発展したものと考えらえています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
一條房基の墓の写真 四万十市

一條房基の墓

房冬の息子で、母は玉姫。20歳の年に祖父、父を相次いで亡くしつつも、津野氏、大平氏らとの攻防戦を繰り広げ高岡郡を勢力圏におさめるなどの活躍をしました。一方で長岡郡では長宗我部国親との争いが勃発するなど乱世への対応に苦労しますが、天文18(1549)年、28歳で自ら命を断ったと伝えられています。現在、房基の位牌は太平寺に安置されています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
一條教房の墓の写真 四万十市

一條教房の墓

一条教房は、応仁の乱を契機として京都から幡多へ下向し、土佐一條氏の基盤を作ります。文明12(1480)年、58歳で薨(みまか)ると現在の奥御前神社の北の谷(妙華寺谷)に祀られました。墓は弘化3(1846)年の山崩れで埋没していましたが、明治33年に五輪塔の一部が発掘され、これを機に一條家が再興したものが現在の五輪塔です。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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上林暁文学碑の写真 四万十市

上林暁文学碑

この「四萬十川の青き流れを忘れめや」は、上林暁が鼻の手術のために中村の病院に入院していた昭和10(1935)年頃、散歩の道すがら浮かんだものだそうです。暁はひいきにして宿泊していた朝比奈旅館から眺める四万十川の風景を懐かしんだ文章をのちの作品で発表しています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
中平泰作の墓の写真 四万十市

中平泰作の墓

泰作さん、こと中平泰作は中村の町で中屋の屋号を使い古物商をしていた行商人です。とんちを使って人をかついだり、からかったり、そのひょうげぶりは「泰作ばなし」として後世に伝えられ、今も親しまれています。庶民の立場に立ってお上や金持ちをやりこめる話も多く、悪さをしても憎まれずに「泰作さん」と呼ばれて、今日にいたるまで愛され、お菓子にもなっています。羊羹をビスケットで挟んだお菓子はいかにもひょうげものの泰作さんらしい組み合わせですね。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
中村城跡石垣復元地の写真 四万十市

中村城跡石垣復元地

中村城跡詰の石垣を移築復元しています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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中村大神宮の写真 四万十市

中村大神宮

お城に向かうよこ町が丘陵に突き当たる場所にあるのが中村大神宮です。祭神は天照大神。元は伊勢信仰の祈祷所だったものが、昭和21年から神社となって現在の名称になりました。かつては藩校である「行余館」があり、のちに中村小学校となりました。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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中村貝塚の写真 四万十市

中村貝塚

中村貝塚はまちなかにある縄文時代の貝塚(ゴミ捨て場)です。地面から5mほど下の地層から縄文人達が食べた貝の殻や川漁の道具、矢じり、骨でできたヘアーピンなどが出土しています。このまちが縄文時代からずっと川とともに生きてきたことを知れる遺跡です。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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久栄岸橋の跡の写真 四万十市

久栄岸橋の跡

かつて後川は中村の市街地に向かって大きく蛇行していました。その蛇行した後川に架橋されていたのが久栄岸橋です。元々は河川に侵食されやすい河岸を「崩岸(くえきし)」と呼んだことが名前の由来と考えられます。四万十市の東側の入り口を支えた古い時代のコンクリート橋の痕跡です。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
二の丸の土塁の写真 四万十市

二の丸の土塁

現在の博物館の周囲を取り囲むように土塁が巡っています。土塁とは土を盛ってつくられた防御壁で中世の山城などに多く見られます。この二の丸を取り囲む土塁はそのなかでも残りがよく高さの高い立派なものです。一部は博物館への進入路として削平されていますがこの場所が守られた場所であることがよく分かります。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
京町水害の古写真の場所の写真 四万十市

京町水害の古写真の場所

中村の町は四万十川と後川に挟まれた中洲状の地形にひらけた町です。台風など降雨量の多い地域柄、河川の増水は日常茶飯事で、堤防が作られる以前は洪水のたびに町中で床上や床下浸水が頻繁に起こっていました。浸水した通りを移動するため、家々には舟が常備されていたと伝わります。「川と共に生きるまち」四万十市では水害との付き合い方も暮らしの工夫だったのです。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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京町通りの写真 四万十市

京町通り

京町、町を南北方向に走る幹線です。古地図にも該当する道筋が描かれていることから中世にはすでに人々の行き交う道であったことがわかります。周囲に比べるとわずかに地形が高くなる微高地で、京町から東西を見ると緩やかに地形が下がっていくことがわかります。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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京町通りの微高地の写真 四万十市

京町通りの微高地

中村の市街地は四万十川と後川に挟まれた平野にありますが、京町通や本町通に立って周辺の地形をよく見ると東西に向かって地形が緩やかに下っていることが分かります。つまり、京町通、本町通周辺は微高地と呼ばれる少し小高い地形で、その高い場所を道として古くから利用してきたものと考えられるのです。水害の多い町では少しでも高い場所に道が通っていることが大切だったのでしょうね。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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佐岡橋の写真 四万十市

佐岡橋

佐岡橋は後川を渡って中村の町へ入る重要な入り口のひとつとして使用されている橋です。佐岡橋からつながる道は町を横切って四万十川へ抜ける中村の町にとって東西をつなぐ道路なのです。 かつて後川を渡る橋は「久栄岸橋」と呼ばれ、後川が現在のまちなかに向かって蛇行していたため、現在の場所より400mほど西にありました。木橋からコンクリート橋へと変わりつつ使用されていましたが、河川の改修により後川が直線化され現在の位置へ佐岡橋として架橋されました。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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佐田の水田の写真 四万十市

佐田の水田

佐田地区には川沿いに水田が広がっています。この水田は四万十川が運んだ土砂が堆積してたまった自然堤防と呼ばれる地形の上にあります。名前のとおり水面より6~8mほど高くなっており、四万十川の川沿いにはよく見られて農地に利用されています。佐田に広がる水田は四万十川の力によって形作られた農地と言えるでしょう。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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俵屋寄贈の手水鉢の写真 四万十市

俵屋寄贈の手水鉢

幸徳秋水の実家は中村の町を代表する豪商「俵屋」です。鳥居をくぐって上がる階段付近でこの俵屋が不破八幡宮に寄贈した手水鉢を見ることができます。この他にも秋水ゆかりのものとして病気治癒のお礼に秋水が手描きした絵馬(市指定文化財)が保存されているなど、幡多の総鎮守として信仰されていた不破八幡宮には町の文化財が多く残っています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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入田の川原の写真 四万十市

入田の川原

四万十川の川原には延長196キロを旅してきた石が堆積しています。 多くは砂岩や泥岩ですが、よく見ると石器の石材としても使われるチャート(赤や緑)や磨くと美しく光る蛇紋岩などを見つけることができるはず。珍しい石を探したり、積み上げてロックバランシングを楽しんだり、水切りで距離を競ったり、川原では石だけでたくさん楽しむことができます。運が良いとアユが餌を食べた痕跡も見つかるかも。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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入田の水田の写真 四万十市

入田の水田

四万十川流域でもとりわけ広い入田の水田は、四万十川の氾濫原である低地に広がっています。この平地は四万十川が運んだ土砂が堆積して広がったもので、川が作った水田地ということもできるでしょう。周辺には弥生時代から稲作をしていたことが知られる入田遺跡があるなど、古くから農地として利用されていたことが分かっています。田んぼのなかに見られる元池や長池といった池はかつての四万十川の流れの痕跡です。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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入田ヤナギ林の木立の写真 四万十市

入田ヤナギ林の木立

入田ヤナギ林のヤナギをよく見ると、下流側に大きく傾いている立っていることがわかります。  四万十川は台風や大雨により、しばしば増水に見舞われます。この時、増水による強い水流にさらされて、水が引いた後もかしいだまま自生しているのです。増水時の推移は木の枝に引っかかっているゴミの高さで知ることができます。大河四万十川の力が木の育ち方にまで影響しているんですね。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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南海大地震記念碑の写真 四万十市

南海大地震記念碑

昭和25(1950)年に建立された昭和南海大地震を伝える石碑。大きな被害を受けた中村の町が、至難といわれた復興をわずか4年でほとんどの事業を完成させたことを誇るとともに、後進に対して「災害は忘れた頃にやってくる」ことを忘れないよう言い伝えています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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右山からお城が見える場所の写真 四万十市

右山からお城が見える場所

中村の市街地からはお城(郷土博物館)がよく見えますが、羽生山を挟んだ右山側からだと山の影に入ってしまいお城の姿はなかなか見えなくなってしまいます。ところがこの通りからはとても綺麗にお城(郷土博物館)を見ることができます。お城好きな方にオススメの隠れたお城スポットです。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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右山の水止めの写真 四万十市

右山の水止め

道路の両脇のコンクリート擁壁をよく見ると、縦方向に2本の溝がつけられています。これは四万十川が増水してこの付近まで水が押し寄せてくる時に、溝に板をはめ込んで浸水を防ぐ仕掛け。ここから四万十川まで歩いていくと、四万十川の洪水がどれほど広い範囲に影響を与えていたがか分かります。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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向かい地蔵の写真 四万十市

向かい地蔵

中村高校のグランドの擁壁には小さなくぼみが作ってあり、その上にいくつかのお地蔵さんが置かれています。これは元々は川を挟んで対岸に置かれていたものと考えられます。高知県は雨の多い地域で河川の災害が頻発するため、川での安全を願って両岸から見守る向かい地蔵(見合い地蔵)がよく見られます。川辺でお地蔵さんを見かけたら対岸に相棒がいないか探してみると良いかもしれませんね。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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咲かずの藤の写真 四万十市

咲かずの藤

長宗我部氏に土佐一條家の実権を握られ天正2(1574)年中村を追われ大分へ渡ることになった一條兼定は、一條家の家紋でもあり大切に育てていた藤に歌を詠んで町を去ります。歌は「育ててきた恩を感じているなら、来年には戻ってくるので長宗我部氏に咲いた姿を見せないでいて欲しい」という意でしたが、兼定は翌年の渡川合戦で敗退し、中村に戻ることはありませんでした。この歌が伝わったのか藤は花をつけることがなくなり、「咲かずの藤」と呼ばれるようになります。この藤が文久2(1862)年に花をつけたことを記念して一條神社が建立されたと伝わっています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
四ケ村溝の写真 四万十市

四ケ村溝

江戸時代に土佐藩の家老野中兼山(のなか けんざん)は土佐藩各地に用水路を引き、水田を広げ、各地の農業基盤を整備しました。この水路も兼山によって整備されたもので、後川上流の麻生堰から取水して秋田(あいだ)、安並、佐岡、古津賀の4つの地区に配水する延長約7.6キロの灌漑用水路です。4つの村に配水することから4ケ村溝と呼ばれています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十川と後川の合流点の写真 四万十市

四万十川と後川の合流点

四万十川とその支流後川の合流点は木の津と言います。「津」の名前が示すようにかつては川港として役割があったのかもしれません。この合流点は四万十川の川幅も広く晴れた日の午後には川面が反射してキラキラと輝きます。堤防の上を散歩しながら川面を楽しんでみてください。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十川を下る遊覧船の写真 四万十市

四万十川を下る遊覧船

四万十川は蛇行を繰り返す川として知られています。その四万十川の最後の蛇行がこの地点です。この付近は遊覧船の航路なのでタイミングが合えば、大きく緩やかに蛇行する四万十川をゆっくりと下る遊覧船の姿をカメラに収めることができます。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十川橋(赤鉄橋)の写真 四万十市

四万十川橋(赤鉄橋)

大正15年に建設された赤いトラス橋です。本当の名前は「四万十川橋」ですが、地元ではもっぱら「赤鉄橋」と呼ばれて親しまれています。トラスは細い鋼材を三角形に組むことで荷重を分散して大きな構造物を作る技術で、この形と色が四万十川河口のランドマークになっています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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坂本遺跡の瓦窯跡の写真 四万十市

坂本遺跡の瓦窯跡

香山寺の麓には坂本遺跡という中世の寺院遺跡が発見されました。この遺跡は香山寺の一部と考えられていて、寺院の建物や門、石段などが発掘調査によって発見されています。なかでも瓦を焼くための瓦窯跡は珍しいもので、石段と合わせて現地保存されています。一條さんが中村にいた頃に建てられた香山寺のお堂には現地で作られた瓦が葺かれていたんですね。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
堺事件の石碑の写真 四万十市

堺事件の石碑

堺事件は、慶応4(1868)年に堺で起こった土佐藩士によるフランス水兵殺傷事件で、堺の警護をしていた土佐藩士がフランス水兵を殺傷したため、国際問題に発展しました。この処分で事件に関与した土佐藩士は切腹させられますが、うち9名は命を助けられ入田地区へ配流されました。この事件を今に伝えるべく、平成30年8月、入田堤防に新たに事件の碑が設置されました。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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大江満雄 四萬十川詩碑(岩崎)の写真 四万十市

大江満雄 四萬十川詩碑(岩崎)

大江満雄は現・大月町出身のプロレタリアート詩人。詩碑には昭和17(1942)年に『蝋人形』7月号に掲載された詩「四万十川」が刻まれています。四万十川の氾濫の恐ろしさと悲しさをうたう詩は、美しいだけではない四万十川の姿を伝えています。近くには大正4(1915)年渡し船の転覆によって命を落とした女学生ら11名の慰霊碑が建てられています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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天神社の写真 四万十市

天神社

一條氏によって京都の五条天神が勧請されたと伝わる神社。祭神は少彦名神、江戸時代に菅原道真公を合祭しています。古い絵図では現在の市役所のある丘陵地に祀られていましたが、市役所建設時に現在の場所に移転されました。市内に残る天神の名前はこの神社に由来するものでしょう。病気平癒や学問成就の参拝者が多く来られます。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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奥御前神社の写真 四万十市

奥御前神社

奥御前神社は承久の乱で鎌倉幕府打倒を企てて失脚した後鳥羽上皇の息子、土御門上皇が自ら幡多に遷幸された際に鞍馬から勧請されたものと伝わります。境内地には指定文化財の奥御前神社の大杉の他にも、根が板状に発達した大きな樹木がたくさん並んでいます。梅雨時期には境内地斜面にはアジサイが咲き誇ります。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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奥御前神社のアジサイの写真 四万十市

奥御前神社のアジサイ

奥御前神社奥の北側の斜面では6月になるとたくさんのアジサイが開花します。一条教房の墓所へ向かう道から見上げると斜面が水色や紫色に染まる様子は必見です。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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奥御前神社の大杉の写真 四万十市

奥御前神社の大杉

奥御前神社の境内地にある大杉。昔は3本が隣接していたと伝わるが2本は倒壊の危険があり伐採しています。市内では類を見ない大きさと樹齢を誇る杉であることから市の文化財として指定し保護しています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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奪天工の石碑の写真 四万十市

奪天工の石碑

四万十川橋(赤鉄橋)の完成を記念して建てられた石碑です。「奪天工」は古い中国の書物に出てくる言葉を引用した言葉と考えられますが、本来の意味とは少し違って、「神様がするようなすごいことを成し遂げた」という思いで使われたものと思われます。赤鉄橋が皆の誇りであったことが分かる石碑です。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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女工水難の石碑の写真 四万十市

女工水難の石碑

大正4(1915)年5月12日、女学生たちが養蚕実習のため四万十川を舟で渡っているところ舟が添付して、女学生他11名が遭難し、溺死しました。この事件もきっかけとなり、四万十川橋(赤鉄橋)が架橋される機運が高まったと伝えています。石碑は77回忌に当たる平成3年に石碑を建立したものです。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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安並の水車の写真 四万十市

安並の水車

土佐藩家老の野中兼山が作った四ケ村溝の一部です。現在は観光用の大きな水車が回っていますが、かつてはもう少し小さい水車が水路から水をくみ上げ、田んぼに配水していました。6月には水路に沿ってアジサイが咲き誇る名所でもあります。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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安岡良亮屋敷跡の写真 四万十市

安岡良亮屋敷跡

安岡良亮は幡多を代表する幕末の志士で、初代熊本県知事となった。文武に優れた人で先輩にあたる樋口真吉とともに奔走します。とくに新撰組局長近藤勇の斬首を担当したことは有名です。維新後は衆議院判官などを歴任し、明治6(1873)年白川県県令(のちの熊本県知事)に任じられました。良政を敷きますが、神風連の乱により殉職しました。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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山内忠直の墓(三万石さん)の写真 四万十市

山内忠直の墓(三万石さん)

山内忠直は中村支藩第3代のお殿様で、土佐藩家老野中兼山らとともに水路を作るなど農業の発展に務めました。それまで二万石だった領土の石高が三万石になったことから三万石さんと呼ばれて親しまれています。ガソリンスタンドの横の参道には山内家の家紋がついた石造物が並んでおり、その頂上付近にある巨大な五輪塔が忠直のお墓です。高さ4.7mほどある五輪塔は高知県でも最大級です。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
山内政豊の墓の写真 四万十市

山内政豊の墓

山内一豊の弟康豊が中村支藩を収めたあとを継いで支藩を治めたのが二男の山内政豊です。石高は父と変わらず二万石ですが、寛容で心優しい城主だったらしく、良政を敷きました。この政豊の時代に中村城の普請で石垣等の修理を行なっています。寛永6(1629)年に33歳で没して中村妙因寺に葬られました。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
川谷銀太郎の墓の写真 四万十市

川谷銀太郎の墓

川谷銀太郎は慶応4(1868)年に堺で起こった土佐藩士によるフランス水兵殺傷事件(堺事件)に関わった土佐藩士で、死刑を免ぜられて四万十市入田地区に配流された土佐藩士9名のうちの一人です。高知県香北出身ですが、入田で亡くなったため今も入田地区の人たちが大切にお祀りしています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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四万十市
幡多奉行所跡の写真 四万十市

幡多奉行所跡

現在の拘置所付近はもとは中村支藩を統治した中村山内家の御屋敷があった場所です。ところが中村支藩は将軍綱吉との関係をこじらせ、元禄2(1689)年、高知本藩に吸収され廃藩となってしまいます。このため御屋敷跡は幡多奉行所となり、郡奉行が駐留するようになりました。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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幸徳秋水の墓の写真 四万十市

幸徳秋水の墓

幸徳秋水は中村の豪商俵屋に生まれた明治時代のジャーナリスト、思想家。明治43(1910)年に明治天皇の暗殺を計画したとして逮捕され、翌年処刑されましたが、現在では計画には加担していなかったものと考えられています。戦前は墓の周囲にも鉄格子がつけられていました。墓石の文字は友人の小泉三申のもの。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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幸徳秋水の生家の写真 四万十市

幸徳秋水の生家

幸徳秋水が生まれた俵屋という中村の豪商邸。幸徳家は、酒造業と薬種業を営む町の豪商で、元々は「幸徳井(かでい)」という姓で、陰陽道に通じた家だったとも伝わっています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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幸徳秋水絶筆の碑の写真 四万十市

幸徳秋水絶筆の碑

明治44年1月18日に死刑判決を受けて獄舎に帰ってきた秋水が看守の求めに応じて書き与えたと伝わる漢詩。死刑を控えているにもかかわらず、乱れのない字に看守が感嘆したといいます。書は四万十市立図書館に保管されています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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後川橋の写真 四万十市

後川橋

安並など北側から市街地に向かって後川を渡ってたて町に繋がる橋です。昔から何度も水害にさらされて大きな被害を受けてきた橋でもあります。明治35年に架橋された時は木橋でしたが、現在はコンクリート製になっています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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恵美須神社の写真 四万十市

恵美須神社

中村大神宮本殿に向かって左奥に鎮座する神社です。昔からお参りすると探し物が出てくるという御利益で知られています。願いが叶って探し物が見つかった時には、お礼に豆腐をお供えするそうです。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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木戸明の墓の写真 四万十市

木戸明の墓

幡多を代表する教育者木戸 明(きど めい)の墓所です。木戸 明は儒学、国学に精通し、中学校や私塾の教師を務めながら、神職や勤皇志士としても活躍します。教えた生徒は3000人を超えると言われる大先生です。濱口雄幸、幸徳秋水、野村茂久馬など多くの人物を育てており、墓石の字は教え子のひとり、海軍大将吉松 茂太郎によるものです。墓は弟子である幸徳秋水の墓の近くに建てられています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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木戸明屋敷跡の写真 四万十市

木戸明屋敷跡

木戸明(きど めい)は、幕末の幡多郡を代表する儒学者。天保5(1834)年に吹田屋の屋号を持つ富豪の家に生まれ、18歳の時に京都に上り国学などを学びます。帰国後は樋口真吉や安岡良亮らと勤王運動に活躍し、自費でモルチール砲38砲を鋳造して藩へ献上し、その一部は下田の台場にも設置されたと伝わります。維新後は私塾「遊焉堂」を開いて後進の教育に注力し、その教えは近代のジャーナリスト幸徳秋水にも引き継がれていきます。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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木漏れ日の美しい小道の写真 四万十市

木漏れ日の美しい小道

木立に囲まれた少し暗くて狭い道。木々がうっそうと茂る合間から日の光が差してくると、キラキラと優しい輝きが空から降ってくるような光景が見られます。くねくねと伸びる道を自転車で走りぬけると、ノスタルジックな気分に浸れること間違いなしです。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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本町通りの写真 四万十市

本町通り

京町と同じく町を南北に走る幹線で、たてまちを形成する軸となる道路です。本町~京町の間は少し高くなっていて、一條氏の邸宅もこの本町と京町に挟まれた区画にあったものと推測されています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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東城(三の丸)の写真 四万十市

東城(三の丸)

中世に一條氏の家臣である西小路氏の居城であった場所。曲輪として平坦な地形であったため現在は駐車場になっていますが、その周囲には城に伴う土塁(少し土が高く盛られているところ)が見られます。この周辺は南海地震記念碑や樋口真吉顕彰碑など多くの石碑が建立される場所でもあります。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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東屋からの景色(佐田展望所)の写真 四万十市

東屋からの景色(佐田展望所)

四万十川にかかる48本の沈下橋。ここから、下流に一番近く、長い沈下橋(佐田沈下橋)を見ることが出来ます。風の音、鳥のさえずり・・・自然が五感を癒してくれます。ここで一休みしませんか。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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東山を見るところの写真 四万十市

東山を見るところ

中村の町は、中世に京都から一條氏が下向し町の礎を築いたことから町を京都に見立てて、地域の名前や山の名前をつけています。とくに市街地の東側に伸びる丘陵は東山と呼ばれており、この山の麓一帯は地区の名前も東山と言います。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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桜の段の堀切と石垣の写真 四万十市

桜の段の堀切と石垣

お花見の場所として古くから楽しまれている桜の段。このお花見の場所の前の道路はもとは堀切と呼ばれる空堀であったと考えられています。このから堀りを拡張して道路として利用しています。また道向いに残る石垣は、江戸時代に山内家によって修理された中村城の石垣です。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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桜町の水路の写真 四万十市

桜町の水路

江戸時代の古地図を見ると、山内家のお屋敷の前には水路が描かれています。お屋敷と家臣や町人たちの暮らす町場とを水路で区分していたことが分かります。また、この水路は京町、本町の微高地から集まる水を集めて排水する役目も担っていたと考えられています。現在この水路は暗渠になっていますが、排水機能を担い続けています。桜町を歩くとせせらぎ水路の途切れた南側でその痕跡を見ることができます。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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樋口真吉の墓の写真 四万十市

樋口真吉の墓

維新の激動期を駆け抜けた文武の達人、樋口真吉は現四万十市中村に生まれました。九州や江戸に留学し、剣術は大石神影流の免許を会得、砲術は高島秋帆や佐久間象山らに学びました。また、藩の命を受けて、須崎以西の沿岸防備のため砲台の築造にも尽力します。維新後も戊辰戦争に参戦するなど縦横に活躍しました。明治3(1870)年、56歳で病没し、東京に葬られたましたが、弟子らにより中村土生山に改葬されました。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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樋口真吉の頌徳碑の写真 四万十市

樋口真吉の頌徳碑

東城曲輪(平坦面)の土塁の前に幕末の志士樋口真吉の活躍を記録した石碑が立てられています。背面には真吉の様々な活躍が刻まれています。この石碑は島村速雄海軍元師の撰文で、もとは幡多図書館の前庭に建てられていたものが移設されたものです。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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樋口真吉邸跡の写真 四万十市

樋口真吉邸跡

維新志士、樋口真吉邸宅の跡地です。真吉は23歳になると九州に渡り、大石神影流大石進に入門して、わずか60日で免状を取得します。その後、中村で道場を開き、大石神影流を多くの門下生に教えていました。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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水留めの写真 四万十市

水留め

四万十川は平野の少ない山間を流れているため増水時に水の広がる場所が少ないため、水位が上がります。このため農地や道路、家が浸水するといった水害がよく起こります。この水害を少しでも食い止めるために道路を塞いで水を食い止めるしかけがこの水留です。道路の両脇の壁に溝を掘り、板を渡して土嚢などで留めて仮設の堤防を作るわけです。水害の多い四万十川流域での川との付き合い方がみられるしかけですね。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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水路の鯉の写真 四万十市

水路の鯉

ここは「岩田」という地域です。岩田川から水を引き、この水路によって田園風景がつくられ、人々の暮らしが営まれてきました。この水路の中にも季節があります。初夏は水草の白い花でいっぱい。運が良ければ水草の隙間から悠々泳ぐ鯉がみれるかも。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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渡川古戦場跡の石碑の写真 四万十市

渡川古戦場跡の石碑

一條兼定は天正2(1574)年長宗我部氏に追われて一旦は中村の町を去り、大分に向かいます。翌年、兼定は大友宗麟の援軍を得て、中村の町に戻って長宗我部氏に戦いを挑みます。この合戦は四万十川(渡川)を挟んで両軍が布陣したため、渡川合戦と呼ばれています。左岸側の栗本城に一條兼定が陣を構え、長宗我部氏が中村城で迎え撃つかたちで開戦しますが、一條氏は敗走して事実上の一條氏による中村統治が終わりを告げます。この一條氏最後の戦いの場は今のランドマークである四万十川橋(赤鉄橋)付近で行われたと伝わっています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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源池(もといけ)と長池の写真 四万十市

源池(もといけ)と長池

四万十川は蛇行の多い川です、入田付近では時期によって四万十川の流路が異なっていたため、旧流路の残りが池状に残っています。こういった地形を三日月湖と言いますが、入田の源池と長池は四万十川では珍しい三日月湖と言えるでしょう。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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玉姫の墓の写真 四万十市

玉姫の墓

一條房冬の妻。伏見宮邦高親王の娘で、京都から土佐中村へと嫁いできた王女。房冬没後は仏門に入り、逝去後は常照寺に祀られました。現在は「玉姫の墓」として中村新町に五輪塔が残っています。中村の人々に愛された姫君で、商店街のいくつかのお店では、玉姫の小箱が販売されています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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町の隅切りの写真 四万十市

町の隅切り

中村のまちには古くからの道路が縦横に交わってます。この交差点付近の建物をよくよく見ると、角が切られて面になり、そこに入口が設けられていることが多いんです。これは「隅切り」と呼ばれるもので、道路の交差部分を広くして車が曲がりやすくする仕掛け。中村の町では昭和21年の南海大震災で市街地が大きな被害を受け、その復興のタイミングで土地区画整理事業を実施しました。この時に道幅を広げたり隅切りを行ったりして新しい車を使った交通網を利用するかたちに整えたのです。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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稲荷神社の乗るポストの写真 四万十市

稲荷神社の乗るポスト

東下町郵便局前の郵便ポストに上には稲荷神社が乗っかっています。もとは郵便局のビルの最上階に祀られていたものをお祀りしやすいように降ろしてきたものだとか。このポストから投函するとなにかいいことあるかも? 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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笹岡旅館(東下町)の写真 四万十市

笹岡旅館(東下町)

東下町にある旅館建築。築80年を超える建築で、外観は漆喰の壁や飾り瓦が見られます。2階が客間になっていて、旅人が2階から通りを眺められるように欄干が付いていたり、旅人と働く人の動線を分けるように階段が2つ作られているなど旅館らしい工夫が見られます。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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筆塚の写真 四万十市

筆塚

四万十川の河口の町、下田は芸術家が輩出される町です。山崎大抱は明治41(1908)年に下田に生まれた書家で、「海」や「風」、「龍馬は」など数々の作品を生み出しました。この山崎大抱由来の抱一会の皆さんが、使った筆の供養のために不破八幡宮境内地に建てたものがこの筆塚です。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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緑色の電柱の写真 四万十市

緑色の電柱

四万十川沿いを進んでいると、木々の間に電柱が建っています。 電柱と言えばコンクリート色のものが一般的ですが、四万十川流域では周囲の景観に溶け込むよう、条例等のルールで指定された配色となっています。 このほかにも、四万十川沿いに点在しているガードレールなども景色に調和するような配色となっていますので、是非探してみてください。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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耳神様の写真 四万十市

耳神様

耳の病気にご利益があると信仰されている神社。昔土佐の東部に住む耳が聞こえなくなったおじいさんがこの耳神様に祈ると嘘のように耳が聞こえるようになったそうです。おじいさんが社の前から穴の空いた石を自宅に持ちかえったところ、夜な夜な「不破に帰りたい」という声が聞こえたため、はるばる不破まで納めに来たということです。今でも社の中には穴の空いた石が多く奉納されています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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萌える山のビュースポットの写真 四万十市

萌える山のビュースポット

四万十川を取り囲む周囲の山々をよく見てみると、所々で木々の色が違います。天然林と植林の違いで、見分け方は様々な色で「もこもこ」したものが天然林、緑一色の「ツンツン」したものが植林です。この地域では林業が盛んで、杉・ヒノキなどの材木を生産していた歴史があり、その名残が現在も四万十の山々を彩っているほか、土地の目印になる木を一列に植えるなど、山の木々を観察することで四万十の歴史・営みを感じることが出来ます。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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落ち鮎漁の漁場の写真 四万十市

落ち鮎漁の漁場

四万十川に架かる四万十川橋(赤鉄橋)の上流側は浅瀬で水温が高く、手頃な大きさの石が多いため、アユの産卵場に適しています。その産卵場付近で毎年行われるのが産卵を終えたアユを投網や火振りで狙う落ちアユ漁です。落ちアユは、捕る楽しみだけでなく、塩煮にしたり甘露煮にしたりして冬場の大切なタンパク源として地域の冬の食事を支えています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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解禁日の朝に見る落ちアユ漁の写真 四万十市

解禁日の朝に見る落ちアユ漁

四万十川の落ちアユ漁は冬の楽しみとして、皆が待ち焦がれる漁です。この漁は、産卵を終えたアユを狙う漁ですが、近年は資源量を減らさないため、解禁日までは漁をしないことになっています。解禁日には待ちかねた釣り人や漁師が早朝から冬の川に入り、網を投げたり、竿を振ってアユを狙います。川霧の中、たくさんの人が川の中で漁を行う様子は冬の風物詩として必見です。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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通りの向こうに見えるお城の写真 四万十市

通りの向こうに見えるお城

説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。説明がきます。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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遍路道の道標(古津賀)の写真 四万十市

遍路道の道標(古津賀)

四国には弘法大師の足跡をたどりながら八十八のお寺(霊場)を参拝する巡礼を四国遍路と言います。この遍路道には、遍路が迷わないように分岐などに道しるべが置かれています。この道しるべは明治29(1896)年に建てられたもので、三十八番札所へ向かう方向や発願者の名前などが刻まれています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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遍路道の道標(木の津)の写真 四万十市

遍路道の道標(木の津)

遍路道の道標は指差しした彫刻が見られることが特徴です。この道標にも三十八番札所に向かって指差しが表現され、足摺山まで9里10丁(約36.5km)かかると書かれています。この道標は明治36(1903)年に高知市の醤油屋さんによって建てられたものです。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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遠近鶴鳴の墓の写真 四万十市

遠近鶴鳴の墓

中村の多くの人物に影響を与えた町人学者遠近鶴鳴の墓所。宇和屋の屋号で知られる卸商で町の長老を歴任した大富豪の家に生まれました。関西で朱子学や国史学を学び、中村で私塾鶴鳴堂を開いて多くの人々を教えました。門下からは樋口真吉や、安岡良亮、木戸明など後の中村を支えた偉人を多く輩出しました。墓碑銘は大阪で師事した篠崎小竹によるものです。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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遠近鶴鳴生家跡の写真 四万十市

遠近鶴鳴生家跡

遠近 鶴鳴 (とおちか かくめい)は、1795(寛政7)年に中村町(現四万十市)で代々続く裕福な庄屋「宇和屋」に生まれ、幼少より学問を好んで学びました。関西で学びを深め、のちに私塾鶴鳴堂を開いて、樋口真吉、安岡良亮、木戸明ら幕末維新に活躍する多くの門下生を育てました。祖先以来の中村の町への功労が評価されて苗字が許され、遠近姓を名乗るようになりました。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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須賀神社(祇園社)の写真 四万十市

須賀神社(祇園社)

赤鉄橋を渡ってすぐの場所にある神社です。京都八坂の祇園社を勧請したもので牛頭天王を祭神としたものであったと考えられており、かつては祇園社の名で親しまれていました。天保年間に今の場所に移転し、神仏分離令(明治元(1868)年)や廃仏毀釈を経て現在の須賀神社に名前が変わっています。不破八幡宮大祭では男神輿の御旅所でもあります。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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香山寺から見る赤鉄橋の写真 四万十市

香山寺から見る赤鉄橋

四万十川橋(赤鉄橋)は町の大切なランドマークです。橋の近くから眺めても美しい橋ですが、香山寺の上から見下ろすとまた違う良さがあります。車で香山寺へのぼり、頂上にたどり着く少し手間に差し掛かると視界が大きく開いて赤鉄橋やその周辺が綺麗に見渡せるところがあります。よく晴れた日に上から町を見下ろすと少しいい気分になれますよ。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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香山寺の一石五輪塔の写真 四万十市

香山寺の一石五輪塔

香山寺の参道では、いろいろな石造物が見られます。その中の一つに一石五輪塔(いっせきごりんとう)があります。五輪塔は密教で世界を構成する5つの要素を5つの形の石で表現したもので、平安時代以降、供養塔や墓標として用いられました。通常は5つの石を使いますが、一石五輪塔は一つの石を5つの石が重なった姿に彫刻します。香山寺の参道付近にはいくつかのお堂や墓所があり、今見られる一石五輪塔はその周辺に安置されていたものでしょう。参道を上がりながらどこにあるか探してみてください。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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香山寺の子授地蔵の写真 四万十市

香山寺の子授地蔵

香山寺のお堂の後ろは小高い山のようになっていて、その周辺には大きな石や西国三十三箇所観音霊場の石仏が並んでいます。この中によだれかけのかかった子授地蔵が安置されています。お参りすると子宝に恵まれると伝わっています。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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香山寺の岩碑の写真 四万十市

香山寺の岩碑

香山寺は空海ゆかりのお寺と伝えられています。この香山寺には中世頃から使われる麓から歩いて上がる参道があります。この参道の中間あたりに、大きな岩に文字を刻んだ岩碑があります。苔蒸していて少し分かりづらいかもしれませんが、大日如来を表す梵字と、「元亨2(1322)年 藤原国次 正月一六日」の文字を見ることができます。14世紀初めには参拝者が多く通っていたことがうかがえる石碑です(市指定文化財)。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

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香山寺の道しるべの写真 四万十市

香山寺の道しるべ

香山寺の参道を上がると頂上までおよそ1kmほどの道のりですが、道中には江戸時代に田野川の庄屋が寄進した道しるべがあります。麓の8丁(1丁はおよそ110メートル)から順に1丁まで、これらの道標を探しながら登ってみてください。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

歴史・まち歩き
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高浜年尾の歌碑の写真 四万十市

高浜年尾の歌碑

「京の名の山あり幡多の春秋を」 中村の町は、中世に京都から一條氏が下向し町の礎を築いたことから、町を京都に見立てて地名や山の名をつけています。とくに町の東側に伸びる丘陵は東山と呼ばれており、高浜虚子の息子である高浜年尾も”京の名の山あり”と詠んでいます。 紹介文・写真:くねくね(一般社団法人四万十市観光協会)

歴史・まち歩き
四万十市
四万十市

四万十川カヌー館

初心者でも楽しめるカヌー・SUP体験。インストラクター付きで安心。四万十川の自然を水上から満喫。

文化・体験
四万十川流域
四万十市

岩間沈下橋

写真映えする美しいカーブの沈下橋。周辺は特に水が綺麗で川遊びスポットとしても人気。

観光スポット
四万十川流域
四万十市

Shimanto+Terrace はれのば

四万十の食材を活かした料理。昼も夜も営業。

お店
天神橋商店街
四万十市

オートキャンプ場とまろっと

土佐西南大規模公園内のオートキャンプ場。海と山に囲まれ、全区画AC電源付き。コテージやバンガローもあり。

キャンプ
四万十市
四万十市

四万十わんぱく広場

太平洋を見渡す高台にある大型遊具公園。高さのあるローラースライダー、ターザンロープ(長短2コース)、幼児向けアスレチック、砂場など年齢別に楽しめる遊具が充実。

公園
四万十市
四万十市

四万十川桜づつみ公園

四万十川沿いに約2kmの桜並木が続く花見の名所。入田地区に位置し、春には川面に映る桜が美しい。河川敷でのピクニックも楽しめる。

観光スポット
四万十市
四万十市

アピアさつき

四万十市中心部のショッピングセンター。スーパー・飲食店などが入居する地域の商業施設。

交流施設
四万十市
四万十市

しまんとぴあ

四万十市総合文化センター。大ホール「しまんとホール」、小ホール「りぐるホール」のほか、ミーティングルーム、交流ロビー、貸スペースなどがあり、コンサートや講演会、セミナー、ワークショップ・マルシェなどの会場になっています。

交流施設
四万十市
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たこちゅー児童公園

ユニークな名前で親しまれる中村市街地の児童公園。タコの形をした遊具が特徴的で、子どもたちに人気のスポット。

公園
四万十市
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一條神社

観光スポット
四万十市
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三里沈下橋

昭和38年に架けられた沈下橋です。長さ145.8m、幅3.3m。夕日の眺めがよいことで知られています。下流の佐田沈下橋にくらべると訪れる人が少なめです。中村駅から車で25分ほど。

観光スポット
四万十市
四万十市

不破八幡宮

室町時代創建の国指定重要文化財。一條氏ゆかりの歴史ある神社で、本殿は高知県最古の神社建築。

観光スポット
中村エリア
四万十市

中半家橋(中半家沈下橋)

昭和51年に架けられた沈下橋です。長さ125.9m、幅4.3m。JRの鉄橋、抜水橋と合わせて、3通りの橋を見くらべられます。車は通れません。JR江川崎駅から車で10分ほど。

観光スポット
四万十市
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丸の内公園

旧中村城下の丸の内エリアに位置する公園。為松公園の東側にあり、広場や遊具があり、地域住民の憩いの場として利用されている。

公園
四万十市
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五月公園

具同地区にある住区基幹公園。遊具や広場を備え、地域の子どもたちの遊び場として利用されている。

公園
四万十市
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交通公園

交通ルールを学べる児童向け公園。ミニ道路や信号機が設置されており、遊びながら交通安全を学べる。子どもの自転車練習にも最適。

公園
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八反原児童公園

八反原エリアの児童公園。遊具が設置され、地域の子どもたちの遊び場として親しまれている。

公園
四万十市
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具同1号公園

リニューアル済みの人気公園。小さい子向けと大きい子向けに分かれた新しい遊具を設置。ベンチや東屋も追加され、子育て世帯に親しまれている。

公園
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具同5号公園

具同地区の街区公園。住宅地の中にあり、遊具やベンチが設置された近隣住民の憩いの場。

公園
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具同児童公園

具同地区の児童向け遊び場。ブランコやすべり台などの遊具があり、近隣の子どもたちが日常的に遊ぶ公園。

公園
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勝間沈下橋

三本の橋脚が珍しい沈下橋。映画「釣りバカ日誌14」のロケ地としても有名。全長171.4m。

観光スポット
四万十川流域
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半家橋(半家沈下橋)

昭和35年に架けられた沈下橋です。長さ124.5m、幅3.3m。四万十市内では最も上流にあり、流れが速い場所です。秋祭りでは昔ながらの神事が行われます。JR江川崎駅から車で15分ほど。

観光スポット
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口屋内大橋

昭和30年に架けられた沈下橋で、口屋内沈下橋とも呼ばれます。長さ241.3m、幅3.6m。ゆるやかな曲線を描く形が特徴です。すぐ下流で黒尊川が四万十川に合流します。中村駅から車で40分ほど。

観光スポット
四万十市
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古津賀児童公園

古津賀地区にある児童公園。商業エリアに近く、買い物帰りの家族連れにも利用されている。遊具あり。

公園
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四万十カヌーとキャンプの里 かわらっこ

四万十川沿いのキャンプ場。カヌーやSUPのレンタルもあり、川遊びを満喫できるアウトドア拠点。

キャンプ
四万十川流域
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四万十川学遊館 あきついお

四万十川の生態系を学べる水族館。トンボやアカメなど希少な生物を展示。家族連れに人気。

観光スポット
四万十川流域
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四万十川野鳥自然公園

四万十川河口に位置する野鳥公園。野鳥観察小屋が設置され、渡り鳥をはじめ多くの野鳥を観察できる。散策路も整備され、自然学習の場としても利用されている。

観光スポット
四万十市
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四万十市郷土博物館

観光スポット
四万十市
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土佐西南大規模公園キャンプ場

四万十川河口近くの広大な公園内キャンプ場。芝生サイトでファミリーに人気。設備も充実。

キャンプ
四万十市
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地域子育て支援センターなかむら ぽっぽ

元保育園を活用した子育て支援センター。3種類の部屋と園庭で遊べ、季節のイベントやお誕生日会、子育て相談も行っています。おもちゃ・絵本・遊具・砂場があり、夏はプールや水遊びも。1日2回しっかり消毒しており、ハイハイ・ねんねの赤ちゃんも安心。一時預かり事業「ぴっぴ」(専用保育室・保育士2名)も併設し、通院・買い物・リフレッシュなど条件なしで利用できます。

子育て施設
中村エリア
四万十市

太平寺

観光スポット
四万十市
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安並水車の里

約15基の水車が並ぶ風景が美しい水路。6月にはアジサイが咲き誇り、水車との共演が見事。

観光スポット
中村エリア
四万十市

安並運動公園

市営の総合運動公園。野球場、テニスコート、多目的グラウンドなどのスポーツ施設を備え、地域のスポーツ大会や日常的な運動に広く利用されている。

公園
四万十市
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岡の下公園

中村市街地にある公園。遊具や広場があり、周辺住民の日常的な遊び場・休憩所として利用されている。

公園
四万十市
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平野サーフポイント

黒潮町の人気サーフポイント。ビーチブレイクで波質が良く、週末はサーファーで賑わう。

サーフィン
四万十市
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平野海岸

入野海岸の隣に位置するビーチ。美しい砂浜が広がり、夏は海水浴客で賑わう。

ビーチ・海水浴
四万十市
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後川緑地公園

後川沿いに整備された緑地公園。散歩やジョギングに適した河川沿いの緑道で、桜並木が美しい。市民の日常的な運動・散策コースとして人気。

公園
四万十市
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日の出公園

中村市街地北部にある公園。広場と遊具を備え、地域の憩いの場となっている。

公園
四万十市
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為松公園(中村城跡)

四万十市を一望できる高台の公園。桜の名所として知られ、郷土資料館も併設。

観光スポット
中村エリア
四万十市

石見寺

観光スポット
四万十市
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薫的神社・清川神社

観光スポット
四万十市
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道の駅 よって西土佐

「てんねん」がコンセプトの道の駅。天然鮎や川エビの鮎市場、地元野菜の水々しい市場が人気。

道の駅
西土佐エリア
四万十市

長生沈下橋

昭和35年に架けられた沈下橋です。長さ120.0m、幅3.1m。夏はキャンプやカヌーでにぎわいます。JR江川崎駅から車で5分ほど。

観光スポット
四万十市
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香山寺市民の森

香山寺山一帯に整備された市民公園。世界の藤32種中約20種を鑑賞でき、展望台からは四万十川と市街地を一望できる。ハイキングやバードウォッチングにも人気。

観光スポット
四万十市
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高瀬沈下橋

1973年建設の沈下橋。ホタル観賞やキャンプで多くの観光客が訪れるスポット。

観光スポット
四万十川流域
四万十市

黒尊渓谷

四万十川の支流、黒尊川の渓谷です。数ある支流のなかでも、いちばん水が澄んでいるといわれています。口屋内沈下橋のすぐ下流で四万十川に合流します。

観光スポット
四万十市